令和二年一月二十二

朝、九時頃に起床。年を越してからというもの、自惚れているかのように、昼までうかうかと眠り込んでしまうのを、改心すべく、早朝に目覚ましを仕掛けるも、つい二度寝をしてこの時間になった。主人、既に留守。施設で電気自動車の充電をする為、はるばる車を出していった。台所の流しには、独りで惣菜を温め直した余韻と匂いが残っている。朝食、パンを切らしてしたのでシリアルに温かい牛乳をかけたもの。朧げな動作で、テレビを点けると、歌謡曲が録画されている。再生すると総集編のそれで、期待とは異なったが、著名人のカラオケ大会を観ているようで、自分も誰かしら有名人のひとりになったよう。丘みどりさんが、兄弟船を謳うというので、鳥羽一郎が手紙を差し出したのを谷原章介が朗読していた。「たったひとりのおふくろさんに楽な暮らしをさせたくて」の一節を丘みどりさんは、亡き母と重ねていた。が、親孝行をしない自分は、気楽なもんだ。鳥羽一郎というと、この間、徹子の部屋で息子二人を出演させていた回を観た。ちなみに、御子息二方も、歌手だそう。照れくさそうに、「川の流れのように」を徹子さんに向けて熱唱する姿は、謹直さと向こう見ずの相俟って、しごく素直に成長なされているといった感想。その鳥羽一郎さんは、道の駅おおとう桜街道のテーマ曲を作られていて、イベントでは足を運ばれたそうな。先日、館内で流れていたのを聴くと、荒波に奮闘する漁師たちを思い浮かべた。
豊前の改修は、ずいぶんと形が整ってきたそうで、主人は月二回ほど、太宰府と求菩提山とを往復している。私と、犬のみどりは昨年末までは付いていったが、電気自動車が節電で暖房をつけない為に、このところ、主人に任せている。昨年の冬なんか、帰りしな酷寒でふるえがとまらず、勢いで源じいの森の温泉に浸かったもんなあ。ちなみにあの温泉施設は、ロビーから男湯と女湯への出入り口が逆なんだが、半円描いて歩くと、結局は隣同士の暖簾の前で又合流する妙な回路を勧められる。かといって、発券機でおろおろしていた自分に手際よく手伝って下さったので、親切な受付である。求菩提山の元・求菩岳庵食堂を改修することを決められたのは二〇一八年の十一月であった。数え切れない要望を出していたら、完成間近になると、二〇二〇年もめでたく始まっていた。当の私たちは、そう長くは感じていない気がする。が、しかし、それは、自分たちだけのものだと思っちゃいけないね、と二人でよく話しているからだと思う。武田百合子さんの富士日記が好きで、考えてみれば自分もこうして聖なる山に暮らすことを思うと、あとあと気付いたように不思議である。自然にくわしくはないけれど、これからぐんとものしりになるつもりである。太宰府は、今日から長雨なのだそうで、この午後も、縁側にそぼ降る音が、ぴとぴとと静かに反響している。硝子戸をじっと目を凝らすと、庭木の葉が小さく上下に揺れている。

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